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独立、そして起業の夢

by Teppei

昔から、夢なんてなかった。


いや、あった。
プロ野球選手になりたかったんだ。なれないとわかってから、今度はプロミュージシャンになりたくなった。そしてそれもなれないとわかってから、夢を持つことをやめた。

いや、違うな。ゴールを設定することをやめたんだった。これはネガティブな意味じゃなくて、もっともっと現在目の前にある一瞬を楽しもうという考えにシフトしたのだ。その考えに至るきっかけとなった歴史小説があったのだけれど、何という小説だか忘れてしまった。

毎日の小さな分岐の先に将来がある。ゴールを決めると、目の前の分岐を楽しむことなく、強制的に道が決められてしまう。それは勿体無い。毎日の一瞬を全力で楽しもう。時には普段と違う道を選択しても良いじゃないか。その先には後悔のない未来が待っている。だって日々の選択に後悔していないのだから。そんな感じの内容が書かれていた。

未だにこの考えの延長線上に自分はいる。

しかし。

自らのルーツ 高畑豊次郎の存在

いつの頃からか、自分のルーツに興味が湧くようになった。最初に興味が湧いたのは小学生の頃。愛知県豊田市には由緒正しいルーツを持った輩がちょくちょくいる。徳川家の大元となる松平家当主とか、豊田一族とか、家康の名のある家臣の末裔とか。学校でそんな話を聞くたびに、親や祖父母に自分のルーツをしつこく訪ねた。名のある武士の末裔であることを願って。

返ってきた言葉は実にシンプルだった。

どれだけ遡っても農民しかおらんぞ

源氏の末裔を夢見ていた自分は一撃で打ちのめされたのだった。

そんな時、目を輝かせて祖母が私に聞かせてくれたのが、曽祖父 高畑豊次郎の存在だった。祖母の父にあたる人物で、一代たたき上げの豪商。祖母が若い頃は芦屋に居を構え、家の中にテニスコートがあり、船を何隻か所有して、家族旅行はその船で北海道へ行ったというのだからよほどの金持ちだったんだろう。戦前の話だ。ちなみに私の祖父は婿養子で祖母の家に入っているので、高畑の性は祖母方の苗字になる。

しかしながら、三大英傑(信長、秀吉、家康)のお膝元で育った自分は当時商人の豪傑に興味が持てず、いつも曽祖父の話を上の空で聞いていた。

そんな自分に転機が訪れたのは、新卒で入社したオーディオメーカーの子会社だった。幸運にも当時オーディオ業界のなかで突出した企画をしていた方が直属の上司となり、新卒として働く背中を見せてもらった。そんな格好良い上司の姿を見て、一気にビジネスの世界に魅了される。今まで没頭していた音楽がうそのように頭から離れ、ひたすらビジネスの世界に熱中した。土日もないぐらい働いたけれど、嫌だと思ったり、働かされていると感じたことは一度もなかった。ただただ楽しくて、働きまくってたように思う。それもこれも、ビジネスを自らの手で作り出し、格好良く振る舞う上司のおかげだと今でも思う。新卒一発目の上司ってすごく大事。そこでどうしようもない輝けないおじさんに当たったりすると、ズルズルと負のスパイラルに引きずり込まれる。

話は戻ってそんな20代前半の頃、ふと自分の出自に疑問を抱く。父は経営者なので、私は父の血を引き継いだと勝手に思い込んでいるのだが、そもそも父は誰の血を引いたのだろう?と。

祖父は学校の先生だった。全くもってビジネスのビの字もない性格である。祖母はというと、テニスコートのある家で育つ人と聞けばどういうタイプかわかると思う。まぁ、箱入り娘である。悪く言えば世間知らずのお嬢様。この二人から産まれた父はどんな突然変異だったのか。そこでふと思い出したのが、祖母の父、高畑豊次郎の存在だった。

祖母が残した一枚の手紙

2016年2月2日、大好きな祖母が他界した。おじいちゃん、おばぁちゃん子だった自分は小さい頃から二人に随分と可愛がってもらった。死の間際の介護はさぞ両親には大変だったと思うけど、自分には良い思い出しか残っていない。そんな祖母が他界した後、一枚の手紙が見つかる。それがこの一枚だ。

手紙にはこんなことが書いてある。

高畑家の事について
一. 両親出生地 滋賀県野洲郡北里村大字小田(現在近江八幡市)
二. 大阪市西区立売堀北通り四丁目十一番地
鉄鋼商 高畑豊二郎商店 豊彦汽船株式会社 経営
郷里小田に北里尋常小学校校舎建設
助力により 紺綬褒章受ける
祖母の手紙より抜粋

とある。大阪市西区立売堀北通とは、この辺りのことらしい。土地勘がない私を慮ってか、大阪の坂本さんが調べてくれた。多謝。現在はプリマール阿波座というマンションになっているようだ。

これが創業の地なのか、ただ祖母が覚えていた一時期の本店住所なのかはわからない。がしかし、住所が特定できたことで、高畑豊次郎の存在が妙にリアルな話になって自分の胸に迫ってきた。ここにまぎれもなく曽祖父はいて、会社を経営していたのだ。すでに祖母は他界してしまったため、漠然としか曽祖父がどういう人だったのかは知らない。実際にどういう人格者だったのかは全くわからない。頭にあるのは名前と創り上げた偶像の姿だけ。


それでもなぜだろう。妙に親近感があるというか、身近な存在に感じ始めている。理由はわからない。

いままでは全く自分の将来について決め事をしていなかったのに、数年前からなんとなく曽祖父の作った会社を再興したいという想いに駆られはじめた。再興といっても、名前をもらい受けるだけの形だけの再興ではあるのだが、高畑豊次郎商店という名の会社を作ってみたい。なんか単純に古い名前が今の時代に格好良く見えるだけ、という見方もあるんだろうけどね。

これは計画ではなく、やはり夢

学生の頃ならいざしらず、今の年齢と経験を経てくると、成功するかどうかは別として起業することは夢でもなんでもない。ただ計画して実行すれば会社を作ることなどとても容易いことだ。
いま現在、KDDIウェブコミュニケーションズという会社で代表権を持ち、日々働いている。だからということでもないが、やはり独立して起業するという計画は当然だけれど頭にない。今の会社に全く不足はないし、今の会社の名前や器だからこそできることが山ほどある。この状況を辞めて独立するメリットがほぼない。

だからこそ、曽祖父のかつて経営していた会社を再興することが夢なのだと思う。計画ではなく、あくまで夢。40代のいつかなのか、50を過ぎてからなのかはわからないが、いつか高畑豊次郎商店という名の会社を作って経営しようと漠然と考えている。

名前からしてたぶんITではない。治一郎みたいに美味しいバームクーヘンでも作ろうか。別に名前に引きずられる必要はないけれど、名前に似合う事業の会社を作り、次の世代にバトンタッチできるぐらいの規模にしたいと思っている。そんな日がいつか来るんだろうか。ただの夢で終わるんだろうか。見果てぬ夢かもしれないけれど、なんとなく心にずっとある想いではある。そしてたぶん、いつかやる。



Teppei
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