SOUL TO SQUEEZE

私のマーケティングの教科書

by Teppei

「マーケティングを勉強するのに、どんな本を読めば良いですか?」

という質問は、セミナーに登壇する人はよくある質問なのではないでしょうか。
私は今までマーケティング関連の書籍をほぼ一度も手にしたことがなく、この種の質問はいつもお茶を濁してきました。

が、昨日ふと録画していた真田丸を見て気づきました。
大阪冬の陣で籠城を定石として主張する事務方一派に対して、徳川秀忠が到着する前に撃って出て、二条城にいる家康の首を取るという策を献上した真田幸村を見て、ああ、私のマーケティングの教科書は歴史小説だったんだと。

私の父は経営者でした。
愛知県の片田舎で家電量販店を何店舗か経営し、ときどきその現場を子供に見せてくれました。年始の朝礼に同席し、聞かせてもらったこともあります。
そんな父が、唯一子供達に義務付けたことが、本を読むことでした。

大学4年間、カナダへ留学させてくれる代わりとして本を読めと船便で送り続けたハードカバーの書籍達。父が先に読んで、これは良いと感じたものを送ってくれました。いま思うと、そこには経営者目線が多分に含まれた書籍達だったように思います。経営の教科書のつもりだったのでしょう。

なかでも、ベタではありますが司馬遼太郎の「坂の上の雲」、北方謙三の「三國志」、「楊令伝」、新田次郎の「武田信玄」、池波正太郎の「真田太平記」などは何度読み返したことか。
その中の局面、地形、戦力、人間関係、能力、判断基準などが、脳に記憶しているわけではなく、身体のどこかの引き出しにしまってあって、ビジネスの要所要所で顔を出してくる気がするのです。

真田丸のそれではないですが、我々中小企業は(と書くとKDDIは大企業じゃんとよくツッコミ受けるんですがうちは子会社で中小企業です)、資本力に限界があります。だからこそ、定石が常に正しいとは限らないですし、定石を続けられる体力がないケースが往々にあります。

こんなことがありました。
2007年の話です。私は当時レンタルサーバーのマーケティング担当をしておりましたが、驚くほどに新規獲得の数字が伸び、過去最高の獲得数を得ることができました。
しかし、その後に待っていたのは急下降という目も当てられない現実。急速な右肩上がりの後に待っていた下り坂に狼狽し、悩まされ、ゴールの見えない日々に随分とやきもきしたものです。

当時、当社が下したジャッジが正しかったかどうかはわかりませんが、状況打開のためにもう一度商品を強くしようと、原点回帰することに決めました。商品を力強くするために、企画やエンジニアの人員を増強することになります。人員増強は固定費が増加するわけですから、その分他の経費を削ることになるわけです。結果として、広告宣伝費を段階的に削ることになりました。広告宣伝費は、2007年から2010年までの間に約3分の1に縮小へ。この流れが自分のなかで転機となりました。

広告宣伝費は、経営者から見ると一番手をつけやすい、削除しやすい一時金として捉えられがちなのですが、昨今のマーケティングの風潮も相まって、広告宣伝費が固定費化している企業も少なくありません。要するに、新規獲得をデジタル広告に依存している会社などは、人件費と同様、削られない予算として固定費化しているのです。その広告を止めると新規売り上げが止まるわけですから、もはや固定費です。

まず、その構造にメスを入れることにしました。デジタル広告は数字が見えるし、効果の度合いが比較的わかりやすいので、説明する立場としてもやりやすい手法の一つです。しかしながら、中小企業はドラスティックに経営の状況が変わります。投資できていた広告宣伝費も、いきなり来月から使えなくなることもあります。会社が成長していても、広告宣伝費という枠を増強できない状況もよくあることです。

だからこそ、いかにお金を使わず、最小コストで持続する成長曲線を描けるかがマーケティング担当には求められることになります。それは真田丸のように、兵糧に限りのある我々がいかに短期決戦で敵将の首を取るか、に似た状況なのかもしれません。

ビジネス書はイベントのあった(急速な拡大や急速な衰退)にフォーカスして描かれるため、その前後関係が不明瞭なことが多いように思います。対して歴史小説は、幼少期から死に至るまで、その人間と周りの関係性を描写していることが多いため、ジャッジに至るまでの過程とその後を垣間見ることができます。そこに私の求めている教科書要素があるのかもしれません。

この話の終わりが見えなくなってきました。ここら辺でドロンします。

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